菊地誠

「ニセ科学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の科学には決して期待できないものです。しかし、パブリックイメージとしての科学は、むしろ、こちらなのかもしれません。科学とは、様々な問題に対して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの — 科学にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。そうだとすると、「ニセ科学」は科学よりも科学らしく見えているのかもしれません。 たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「科学的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。 「ニセ科学」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。